地球温暖化のはなし
地球温暖化っていうから話しが伝わらないのですかね。
気候変動と言い換えればいいかもしれないですね。
少なくともここ10年、極端な天気が続いている。来年それがピタリと収まるかといえば、その予測根拠は今のところ見つからない。
念のため、少なくとも意識の備えはしておいた方がベターであると考えています。
問い合わせフォームになかなかショックなメールが来たので、再度、昔書いたブログ記事を載せておきます。
伝わらないのは、気象キャスター、僕自身のせいです。誤解されるのも僕自身のせいです。経験と勉強と技術がまだまだ足りないです。
以下、いただいたメールです。
題名: そこまで言って委員会見ました
メッセージ本文:
あなたは本当に人間が二酸化炭素を排出しなかったら
地球の温度が下がると思っているんですか?
今から5000万年前、フランスをはじめとした
欧州が熱帯雨林気候だったくらい暑かったんですよ?
それは地層や植物の化石によって明らかにされています。
もちろんその時人間などどこにも居ません。
誰がそこまで温暖化させたんですか?
人間が死に絶えて一切の二酸化炭素を排出しなくなろうが、
少しの太陽活動の活発化で地球の温度など簡単に上がります。
あなたは竹田氏に論破されそうになったらぎゃぁぎゃぁ騒いで
みっともないことこの上ない。
「人間が関係ないとして、温暖化しているのにあなたは
それでも二酸化炭素を吐き出すんですか?」なんて
良く恥ずかしくも無く言えますね。
まずはあなたが息を吐くことをやめてから言ってくださいな。
間違った理論を鼻高々に話すだけでも恥ずかしいのに、
それをもとに同調圧力をかけるとか恥ずかしすぎます。
しまいには金美齢さんに情けをかけられる始末。
悪いことは言いません。
もうそこまで言って委員会に出るのはおやめなさい。
次出るときはもう一人の「たけだ」武田邦彦さんも
一緒に出ることをそこまで言って委員会に嘆願します。
そうすればあなたのインチキ理論も簡単に論破されて、
全国には恥をさらすことになるでしょうね。
あなたはミヤネ屋でお茶の間のおばさんに媚びを売って
生きてりゃいいんですよ。
>地球の温度が下がるなんて一言も言っていない・・・
>人間がいなくても自然の変動があるのは大前提・・・
>太陽活動は現在、活発期ではないのに地球全体の気温は上がっている・・・、むしろ太陽活動が活発になるからといって気温は上がるとは限らない・・・
>二酸化炭素を吐き出すんですかっていうが、呼吸のことを言及しているのではない・・・対策をとるかとらないかという問題・・・
>間違った理論とは?
>金さんは同情なんてかけてない・・・
>同調圧力とはなんだろうか・・・
>温暖化懐疑論者の先生を嘆願すると同時に気候変動の最先端の研究者も同時に嘆願してもらえれば議論は深まるかもしれません
>最後の捨て台詞はなかなかですね。僕の天気予報は媚を売っているように見えていると・・・
媚を売るとは、相手の機嫌をとるためにへつらうこと、あるいは上の人に気に入られようとすることなどを意味する表現。 (実用日本語表現辞典より)
「雨なんですけどぉ~、すみません!」みたいな。
なかなかすごいメールですねぇ。
なんにも伝わってないということは、それが僕の実力でしょう。10年ほど経験を積むと、知らず知らずのうちに天狗になってしまっているかもしれないですね。解ってくれているだろうと。
「災害報道について」ここ最近考える機会があったので、普段ならスルーするのですが「伝えきれていない」というのが今の自分のテーマなので、取り上げました。この業界は10年やってようやく一人前のスタートラインという世界なので、まあ、少し長い目で見てやっていただければ幸いです(媚)
以下は、西日本豪雨が起きる前に書いた原稿です。
2018年2月3日 お天気の蓬莱さんのブログ記事より抜粋&加筆修正
ポイント
・地球温暖化は、過去130年ほどで約0.85℃上がっているのは観測結果から事実
・単年ごとで見た時には寒い年も自然の変動であることは考慮しなければならない(前回の冬のように)
・数十年、数百年と長期的に見た時に、温暖化は傾向として現状見受けられる
いまの地球温暖化の問題は、たった130年あたりで0.85℃上がるような急上昇は過去に、少なくともこの1000年ではみられないということ。
この先も気温急上昇の傾向が拍車をかけて続いていけば、将来、動植物や人類が適応できなくなるのではというのが問題である。
また、気象キャスターとして実感しているのは、雨の降り方が激しくなっていること。気温が上がれば、空気中に含むことのできる水蒸気量は増える。そうすると、大雨が降るような気圧配置の時にはこれまで以上に雨量が多くなるおそれ。
気温の急上昇と合わせて、二酸化炭素の急上昇も観測されている。
産業革命前は280ppmだったのが、今は1.4倍増えて400ppmを超えている。
(ppmとは、100万分の1という意味で、大気中の比率のことである)
その上昇の仕方も過去に前例がないと考えられている。
地面に埋まっている化石燃料は何万年という歳月をかけてできた。それをわずか150年ほどの短い期間で掘り起こし燃やして大気中に放出する。
この短い期間というのが問題なのではないだろうか。
ここでこういう意見もある。
「そもそも地上にあったものが化石となったわけで、それを燃やして大気に放出するのは、元に戻しているだけなのでは」という意見。
極端なことを言えば、大気組成が化石になる前の時代に戻るだけのことなのだが、
問題なのは、短い期間で変化することにより、気候も急激に変化してしまう怖さがある。
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地球に熱を閉じ込める役割をする気体を温室効果ガスという。
温室効果ガスの大気を暖める効果は水蒸気が5割、二酸化炭素が2割といわれている。となると、水蒸気が地球温暖化をしているのではという指摘もある。実は自分も、それは一理あるのではないかと思っている。
ただ、2割の温室効果をもつ二酸化炭素が、気温をわずかに上昇させれば、空気中に含むことのできる水蒸気量は増える。そうすると、空気中の水蒸気量は増えて温暖化は進む。つまり、二酸化炭素が温室効果を援護射撃しているようなことになっているのではないだろうか。
ただ、人間が関わって排出した二酸化炭素と地球温暖化の関係について、否定的な意見もある。
そもそも人間が出す二酸化炭素が本当に温暖化に影響しているのか。
大気組成でいうと、280ppmというのは0.028%。これが0.040%に増えたからどうだという意見。
また、
気温が上がったから二酸化炭素の濃度が増えたのか、それとも二酸化炭素が増えたから気温が上がったのか、この点もはっきりとは未だ解明されていないのは事実である。
海による熱の吸収と放出・二酸化炭素の吸収と放出についてもまだ解明されていないこともある。
よって、地球温暖化について、まだよくわからないことがあるのに、国をあげて対策して、それが無駄足にならないかという意見。
このように否定的な意見もあるが、
最新の科学の知見では、まだ未解明のこともあることを認めつつ、現状、地球の気温は急激に上昇していて、今後も温室効果ガスを人間が出しまくれば、上昇傾向は続くであろうということだ。現状の気温急上昇は、人間が排出した温室効果ガスがないと説明がつかないそうだ。
地球本来がもつ自然の変動があるので、たまには寒い年もある。この自然の変動もあることを理解しておきながらも、着実に進んでいる地球温暖化の対策は次世代のためにも、とっておいたほうがベターな「選択」ではないだろうか。
個人的に、地球温暖化の対策というのは、「しなければならない」というよりも「しておいた方がいい」というトーンの方が伝わりやすいと思う。
生活習慣病に例えると、現状検査の結果、「高めの数値が出てますよ」といわれている状態。たまたまその日に体調が悪かっただけかもしれない可能性もある。ただ、数値が高いことは確か。今はまだ許容範囲だが、のちのち放っておくと重大な病気になるかもしれない数値。だから、念のため今からできる範囲で生活習慣を見直しましょうという段階。放っておいて、実際に病気になると重大な症状となるので、病気になってしまってからでは遅いのだ。
とはいえ、生活習慣の改善というのは、なかなか簡単なものではなくて、
今まで快適に過ごしたライフスタイルを、急に「食事制限をしなさい」といわれてもなかなか難しいものなので、生活に無理のない程度で、「まずは意識することが大切ですよ」と。
もしかしたら「放っておいても別に大丈夫だった」という可能性もあるのだが、「対策するリスク」と「しないリスク」を天秤にかけたら、現段階では無理のない程度で対策をしておいた方がいいのではないかと。
要は、地球温暖化の対策は、僕らの生活に負担をかけてまで無理に対策を最優先せよというわけではない。ガソリン車に全く乗るなというわけではない。夜は電気の使用を止めよというわけではない。地球のためだからといって、便利になった生活を手放し、昔のような生活をせよといっても誰も耳は貸してくれないだろう。地球温暖化の対策は、ただつらいことではない。楽して対策行動してもいいのだ。例えば、家電を買い換える時に、選ぶ基準の一つとして最新のエコ家電を選ぶだけで対策はできる。
国の政策にしても、温暖化対策を最優先事項にもってくる前に、他にもやらなければならないことが山積みなので、そちらを優先させるのは間違った判断ではない。だからといって、まったく無視するのもどうかと思う。将来のためにやるべきことはやっておく。
例えば、医者選びも1人に頼るのではなく、セカンドオピニオンのようにいろんな意見を聞いておくことが大切で、地球温暖化に関しても同じだ。対策をしながらも最新のさまざまな意見を取り入れることが必要なのではなかろうか。地球温暖化の否定派の意見も含めて。
現実起こっていることも認めつつ、わかっていないことがあることも認めつつ、何がいま将来にとってベターな選択なのかを考えるのが地球温暖化問題なのかもしれない。
ここまでいろいろ自分なりに考えた結果、地球温暖化対策は、将来のためにやっておくべきだと思う。どの程度かは、まずはひとりひとりができる範囲で。気をつけなければならないのは、何でもかんでも温暖化ではないということを気象キャスターはしっかりとテレビで説明すること。手を抜いた解説をしないということ。逆に、視聴者に疑心が生まれてしまうからだ。誠実に解説する。
あと、テレビが温暖化のデメリットばかりを主張するのもいかがなものかと思う。メリットもあるはずで、それもきちんと伝えた上で、一般の皆様に天秤にかけて考えてもらうべきだ。
最後にまとめると
自然資源を大切に使うという気持ちは、人として持つべきである。自分の快適なためだけにエネルギーを無駄遣いするのではなく、次世代のためにも住みやすい地球を残していくように努力する。今の地球のきしむ音に耳を傾けて、まずは自分のできる所から始めてみる。今の時点で地球温暖化対策を取る方向へ進むための判断材料は、100%とまではいかないものの、そろっている。「とるべき」というか「とっておいた方がいい」
「わからないこともあるから何もやらない」というのは、次世代の人に対してあまりにも無責任だ。
また、近年の予想を超えるような雨の降り方が増えていることを考えると、「今年も起こる」というはっきりした根拠はまだないが、「今年は起こらない」根拠も見つからない。少なくともここ10年は毎年予想を超えるような大雨が各地で続いている傾向があるので、激しい気象現象に関しては、今年も注意をしておいたほうがいいだろう。
あと何回気象災害が起きたら、こういう議論はなくなるのだろうか
※2018年2月にオンエアされた読売テレビ放送『そこまで言って委員会』地球温暖化論での出演を終えての自分への備忘録と自分の現状の意見を整理するために乱筆で書いたブログ記事を加筆修正した。