読書メモ:天災と日本人

自分のためにメモしておこう

天災と日本人

寺田寅彦随筆選


今も100年前も、災害に対する人間の心理・行動の根本的な所は変わっていない。そのことに本書を読みながら改めて気づかされた。

「この場所に数十年住んでいるけど、こんなことは初めて・・・」「まさかこんなことになるとは・・・」

実は100年前から同じで、メディアがそれをあたかも大げさにいうことも変わっていない。

その起こった災害は、その場所の過去を調べると、数十年前に起きていたりする。これは今に始まったことではない。
人間は災いを忘れる生き物なのだ。そのことを認めてしまおう。災いを忘れるということは別に特別なことではなく、昔からそうなのだ。そういうものなのだ。そうでないと生きていけない。防災について、毎日ずっと考えながら生きていると疲れ切ってしまう。「外を歩いていて、もし横を通る車がこっちに突っ込んできたら、どうしよう・・」なんて、そんなことを横を通る車すべてに毎回考えていては、外も歩けない。
ただ、自然災害が厄介なのは、稀にくるから油断できない所にある。全く忘れてしまってはいけないのだ。何かの折にふと防災に気をとめ、たまに思い出すことは大切である。


「災害は忘れた頃にやってくる」というこの言葉は、いろんな意味が凝縮されたとても深い名言なのだとしみじみ感じた。

日本人としての災害の向き合い方

有史以後、地理的気候的変化が大きく変わっていないことを考慮し、我々の先祖の時代から如何なる生活様式を選んできたのかを学び、自然への随順、風土への適応を考える。
日本は他国と比べ地震、津波、台風が多く、特殊な環境にある。自然科学、防災の知識水準は普通教育により高めることが重要で、それは西欧や他国との教育のやり方に合わせる必要はないのだ。なぜなら日本という国は自然と分断するのではなく、融合する形で生活し、それゆえに災害も多く遭ってきた。我々の数千年来の災禍の経験は、日本人に環境の複雑な変化に対応する防災上の優れた知恵を養成することに役立ち、仏教の根底に流れる無常観がそこにうまく組み合わさってきた。
その土地のすばらしさも脅威も同時に知る、それこそが愛国心を持った大和魂でなかろうかと。


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